ジュリアナ東京って若い人も名前くらいは聞いたことがあると思います。 ではかつてはディスコの聖地と呼ばれバブルの象徴となり現在もバブル期の 映像としての画像が多く使われているこのディスコを収容人数から見ていくことにしましょう。
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ここでジュリアナ東京について少し説明したいと思います。正式名称はJULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦 というそうで、1991年の5月15日から1994年の8月31日の約3年間に渡って営業していたということです。開店時のコンセプトは 「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」といったものでダンスホールの両脇には ジュリアナの象徴であるお立ち台が設置されていたりダンスホールの向かい側にひな壇があったりと非常に豪華なもの だったようです。
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ジュリアナ東京の敷地面積は1200平方メートルで収容人数は最大で2000人を収容できたということですが
ちなみにこの広さは小学校の体育館4個分もの広さと同じだそうです。
私はバブル崩壊後に社会人になったので写真や映像でしか見たことがないのですがこんなに広かったんですね。
満員の人だかりの絵しか見たことが無かったのでもっと狭いものと思っていただけにこの広さは驚きでした。
また現在ジュリアナ東京の跡地にはASR浦安というスポーツショップが
当時の建物を変えて営業しているということです。
前述でも少し触れていますがバブル期を表す画像としてジュリアナ東京などで
踊っている様子のものがよく使われます。
これについてはジュリアナ東京があった芝浦がバブル期に
ウォーターフロントと呼ばれていていくつも大型ディスコが
乱立してディスコの聖地となっていたためであるということです。
バブル期がそれだけインパクトがあるくらい華やかだったという
ことなのでしょうね。